【第16号】真理(まり)は掴みどころのない人
こんばんは。
大変立派な釈迦キリストも真理を追求するのに、一生を捧げたわけですが、私たち凡人が思考してたどり着いた答えはどれだけ真理(しんり)に近いものなのでしょうか。
少なくても、右か左か上か下かで分かったことは真理とは呼べないと思います。
昇華や止揚というプロセスに耐えて、初めて1歩真理に近づいたといえるのではないでしょうか。
テーマが大きく抽象的すぎて、まとまりがないですがww ご勘弁を…
真理に近づける姿勢や生き方は重要だと思ったりしてます。
①「真理は中間(一番広いグレーゾーン)に彷徨っていると思って、両忘、極端に偏らないこと」
はっきりくっきり分かりやすい右か左に飛びつきたくなりますが、本当に大事な問題は、辛抱して中庸を心がけるべきだと思います。どうでも良いことは、適当に話を合わせて右! 下!(視力検査?w )とか言っておけばよいですが。
②「自分の判断や意見は自分最適かもしれないけど、大したことがないんだと優しい眼差しで肯定する」
大したことがないとは、一切否定の意味はなく、鳥の目で数ある中の1つとして全力肯定してあげるという感覚です。
自己肯定感を保ちつつ、謙虚に自分の判断を無数の中の1個として捉えるという姿勢です。
うーん難しいテーマに触れてしまいましたw
今後掘り下げできたらするかもしれません…?
ではまた!!